私が同性婚に反対の理由—心は自由。誰にも縛られない

野党がLGBTの法案提出

同性婚法制化の民法改正案 立憲民主党など野党3党が提出
「LGBT」と呼ばれる性的マイノリティーの人たちの人権を確立しようと、立憲民主党などの野党3党は同性どうしの結婚を法制化する民法の改正案を衆議院に共同で提出しました。

» 参考:同性婚を認める法案を、立憲民主党ら野党3党が提出 | HUFFPOST

性的マイノリティーの人たちの人権を守るため、「個人の性的指向・性自認を尊重する必要性」から法制化を求めるという内容です。

また、夫婦や夫・妻という言葉や、父・母という言葉も人権に配慮して改正するように求めています。(夫や妻をやめて「婚姻当事者」に。父や母をやめて「親」に。フランスではすでに父母という言葉を親1、親2と呼ぶ法案が可決されています)

性的マイノリティはLGBTだけじゃない

このようなLGBTの同性婚を国の婚姻制度で認めたとして・・・
私は、同性婚以外の、新たな性的マイノリティー達が「私たちの関係性も婚姻制度で認めてほしい」と名乗りを上げる可能性があると思います。

例えば、ポリアモリーという言葉をご存知でしょうか。最近、複数のパートナー間で恋愛などの親密な関係を持つ人たちが増えているそうです。浮気をかっこよく言っているだけでは…?と思う人もいるでしょうが、本人達は真面目にいろいろ悩んだ末、愛情の一つの形としてそのような関係性を獲得したといいます。

» 参考:ミドル世代の男女4人で“家族”に。女性2人と同時恋愛でもモメない理由 | 女子SPA!

この人たちが「私たちのような複数のパートナーを持つマイノリティーにも婚姻制度を適応してほしい」と主張する日が来るとしたらどうでしょうか?

性的マイノリティーの人たちの人権を守るために制度を改正したのに、同性婚まではいいけど、複数婚(重婚)はダメ。と一概に言えるでしょうか?

性同一性障害の方の苦悩や様々な困難はよく取り上げられ、理解が広がっていると思います。しかし、そのような複数のパートナーと恋愛する人々のことはあまり知られていません。現状、理解ができない人も多いでしょう。でも、だから同性婚までは良くて、複数婚はダメとはいえないと思います。

その人の苦しみや悩みは他人には分からず、ポリアモリーの人の苦悩の方がLGBTの人の苦悩より小さいということは言えないからです。

また、同性婚は男女ではないけど、2人セットだからまだ良い。複数婚は2人以上だからダメ!というのも、おかしな話です。男女セットの制度は変えたのに、2人セットの制度は変えちゃダメなの?っていう疑問が湧いてきます。

結局、宗教的な意味合いのない日本の制度の中で、性的マイノリティーの人権を阻害しないという理由だけで同性婚を認めるなら、複数婚(重婚)も認めざるを得ないだろうと思います。近親婚なども同じ理由で議論せざるを得ないでしょう。

私は性的マジョリティの立場ですが、全く偏見はありません。LでもGでも、BでもTでも、ポリアモリーだろうが、婚姻制度と絡めないなら、自由にしたらいいと思いますし、実際今の日本ではほとんど偏見なく、自由に振る舞い、生活できる環境があると思っています。

そのような環境はない!というなら、婚姻制度に関わらず、環境をみんなで作って行けばいいと思います。私は性的な指向だけでなく、あらゆる多様な生き方に寛容であることが豊かな社会を育むと思っています。

心は自由、性的生活もお互い理解し合えているなら自由。でも婚姻制度を変えるのはよくないと考えています。ここからはそのよくない理由を考えてみたいと思います。

結婚のメリットと、国の意図

まず、結婚して得られる権利・メリットとは何でしょうか。
扶養控除・配偶者控除を受けられるということでしょうか?財産権?・・・私は、このほかにあまり思い浮かびませんでした。

よく婚姻関係がないと、病院などで緊急時の面会ができないことがある、と言われますが、これについては2018年に厚生労働省が、ガイドラインを改訂しており、現状家族以外の面会も認められています。

» 参考:「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」の改訂について

結婚制度というのは国の制度です。では、国としてどのような意図があってこの制度を設けているのでしょうか。

私は、原則として「子どもができることを前提として」結婚制度を設けていると考えます。

社会制度というのは社会にとって有意義な制度であるはずです。その意味を考えると、やはり結婚は国の維持、子孫繁栄につながるから結婚制度によって、一定の控除を与え、夫婦としての権利を付与するわけです。

日本はキリスト教等を国教としている国とは違い、神の祝福という意味合いはないでしょう。

結婚制度の例外を拡大する危険性

では、高齢者の結婚、身体的理由で子どもが生まれない場合はどう考えるのかということですが、これはあくまで例外ということになります。

「一定の秩序を保って国を繁栄させる、人口の維持・増加を行う」がもっとも中心にある意図ですから、結婚で得られる権利はあくまで「子どもが生まれる可能性がある男女の結婚」に限ると思います。

例外は本来の原則からは外れますので、例外を拡大することは社会の混乱につながります。

また、子どもを増やすだけが目的だと一夫多妻なども許されそうなものですが、これもやはり秩序を保つ為に男女ペアを原則としているわけです。

でも、いっぱい不倫をしたり、奥さんのほかに愛人がいたり子どもがいる人もいます。それでも離婚せずうまくいっている人だっています。これも例外であって、例外が許されているからといって、例外を拡大して制度化することは混乱を招くわけです。

混乱って何? どんな混乱が起きるの? そもそも子どもを作らない男女でも、いろいろな不正が考えられるじゃないか!・・・と思うかもしれません。日本国籍を取得する為の形だけの結婚、財産相続だけを狙った結婚、これは、男女間でもあり得ることなのだから、同性婚を認めない理由にはならないという意見があるでしょう。

しかし、原則としては子どもが生まれる男女の権利義務を定める制度なので、別に例外を推奨しているわけではないと思います。ましてや例外の中の不正は排除すべき問題であり、例外を増やし問題を拡大させる方向に解釈を進めることが混乱につながると考えるわけです。

この混乱は国家の衰退に繋がります。

一夫一妻制についても同じで、たくさんの人を愛する人がいても認めようということになって一夫多妻(一妻多夫)も制度で認めると一人の日本人が多数の外国人と結婚して、日本国籍を与えてしまうというような問題が出てきます。

でも今の制度でも何回も離婚と結婚を繰り返して、日本国籍をとりたい外人と結婚してお金をもらっている人もいるんじゃないの!?という意見があるでしょう。でもこれも制度の原則的な目的とは離れ、例外の中でも排除するべき事案な訳です。

制度というのは情緒的なものではなく、また個人の道徳観とも関係はなく、国を守り維持するという目的があります。それは一見冷たいように見えるかもしれませんが、制限を設けることで逆に秩序や自由を守っている面も大きいのです。

結婚の義務と、改正のデメリット

そもそも結婚制度は、結婚した人の権利よりも、子どもを守る為の「義務」に主眼を置くべき制度だと思います。

未成年の子の監護義務(820条)
親権を行う者は、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。

ですから、どうしてもLGBTの一部の活動家の方や、野党のように性的マイノリティーの人たちの人権を守るために、結婚制度を変えろ!と言うのであれば、逆に、結婚制度を「子どもが生まれた人にだけ制度を適応する」というように制度を縮小する方に改正し、「子どもができない人は制度には適応されないけど、立場は平等だよね。」という形で納得してもらう方がマシだと思います。

例外を拡大するよりは原則のみに限定する方が混乱が防げるからです。

でも、性的マイノリティという人が子どもや他の理屈とは関係なく結婚に憧れている(?)ように、性的マジョリティの男女が子どもとは関係なく、まず結婚に多少のあこがれを持つということがなくなれば、ますます少子化が進む可能性はあると思います。

どちらにしても婚姻制度を変更することで社会が崩壊に向かう可能性は大いにあるわけです。

少子化が問題なの?日本人が減っても外国の移民をたくさん入れたらいいじゃないか!という意見もあります。

でもなぜ他国の人が日本に来たがるのかということも考えてみると、それは今の日本の制度がある程度成功しているからだとも言えます。

日本には他国のような差別も迫害もなく、治安も良くて食べ物にも困らない豊かな環境がある。勤勉でおだやか、これほど多様性を認める国、国民性はないのではないかと思います。私は、日本という国がEU諸国のように移民問題をかかえることなく、日本人を主体に繁栄してほしいと願っています。

マイノリティと弱者

私は性的マイノリティという言い方自体、ちょっと気になります。一人の人間にはいろいろな面があり、性的な要素だけでアイデンティティが成り立っているわけではないと思うからです。

性的な要素では全体の少数者であっても、それ以外の要素、社会的な環境や立場ではマジョリティのことも多いでしょう。

男や女という性の要素以外にも身体、環境、思想などいろんな側面があります。ある一つの要素を取り出してマイノリティだというのは、逆にその人のアイデンティティ=性ということを固定する、また「私はマイノリティである」ということを強く固定してしまう気がします。

いわゆる「マイノリティ」が「マジョリティ」と決めつけている人間の心の中にも、それぞれのマイノリティな部分があり、いろいろなコンプレックスをかかえて生きているのです。

人は多数の人と共有できる部分と個人的で共有不可能な部分を持っています。マイノリティな部分だけがその人のアイデンティティではないはずです。一人の人間の多様さを認め、その複合体としての国の制度をできるだけシンプルにすることが、他人の多様性を侵害しない結果に繋がるのではないでしょうか。

浜崎あゆみさんがライブで「マイノリティは社会的弱者〜!」と叫んだそうです。「私もマイノリティのひとりとして、一緒に歩んでいきたい」と不思議な発言もしています。

しかし、マイノリティは社会的少数者という意味ですが、少数者=弱者ではないことに留意する必要があります。

日本でLGBTの人が少数者であっても、特別な弱者と言えるのかということを考えないといけません。LGBTの人が結婚できないこと、子どもを持てないこと、これは強者からの抑圧、差別なのかということです。LGBTの人々は社会的弱者であると決めつける方が、差別的であるとすら思います。

まとめ

私は制度に拘らず、自由な心で過ごせばいいと思います。

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