太平洋戦争の嘘と真実 Vol.1 —ルーズベルトの仕掛けた罠と、「侵略」プロパガンダ

真珠湾攻撃

今まで教えられてきた歴史と違う情報を目にした時、それは捏造だ!歴史修正主義だ!という人がいます。しかし科学的な事実を追求するなら、新しい情報が出てくればそれを検証し、取り入れ、より客観的真実に近づけていこうする方がいいと思いませんか?

そもそも歴史修正主義という言葉はマルクス共産主義者が作った言葉です。彼らには絶対の真理があるので、後から出てきた思想、それに反する情報は、すべて異端であり修正主義になるのです。

2020年、戦後75年が経ちました。戦争の資料なんて、もう新しい情報なんかないんじゃないの?と思うかもしれませんが、時を経た今だからこそ、やっと公開される資料が多くあります。

アメリカ第31代大統領ハーバート・フーバーをご存知でしょうか?彼は、大統領に就任した1929年の10月に発生した世界大恐慌で景気を回復させられなかったことで人気が失墜し、次の大統領選で民主党のフランクリン・ルーズベルトに大敗した人物です。

このフーバー大統領には歴史研究家としての一面もあり、第一次世界大戦から第二次世界大戦までの膨大な資料を収集し、それを基に歴史書を執筆しました。その膨大な資料は母校のスタンフォード大学に寄贈され、戦争ライブラリーとして創設されました。今はアメリカの著名なシンクタンクの一つ、フーバー研究所として研究や検証が続けられています。

しかし、彼が20年の歳月をかけて完成させた戦争の歴史書「裏切られた自由ーFreedom Betrayed」は、戦後50年近く公開されませんでした。アメリカで出版されたのは2011年、日本で全文翻訳が出版されたのは、なんと2017年、つい最近です。

そこには私たちが学校で教えられてきたルーズベルト史観とはまったく違う事実や解釈が書かれていました。第二次世界対戦をリアルタイムで体験し、アメリカの中枢に近い立場から、公的な資料を持って分析された元大統領の発言、告発には非常な重みがあるからこそ50年近くも公開されなかったのです。そこには、隠されてきた意味があるはずです。

今回は、この最近公開されたフーバー大統領の発言を引用しながら、日米戦争の開戦に隠された真相に迫ってみたいと思います。また同時に、私がここ数年で知った第二次世界大戦(太平洋戦争、大東亜戦争)のおおまかな経緯と全容をまとめます。参考にさせていただいた本は、別記事でまとめて掲載しています。

第二次世界大戦に参戦したかったルーズベルト

1939年9月、ドイツ軍がポーランドへ侵攻。イギリス・フランスがドイツに宣戦布告したことで、第二次世界大戦が始まります。しかし、フランス軍が大変弱かったこともあり、すぐにイギリスは危機に立たされてしまいます。イギリスのチャーチル首相は、アメリカのルーズベルト大統領に参戦してくれるように何度も頼みます。

しかし、アメリカでは第一次世界大戦の悲惨な経験から国民の8割が戦争に反対しており、ルーズベルトも選挙公約で「戦争はしない」と言って当選していたので、なかなか了解することはできませんでした。

ですが、アメリカは戦争が始まった2ヶ月後(11月)には武器の輸出を可能にする法律を成立させています。また1940年7月にはイギリスへの無制限の援助を表明。1941年3月には武器貸与法(※1)を成立させます。ですから実質的には戦争に参加していたような状況でした。
(※1)ルーズベルトは英仏以外に、中華民国、ソ連にも膨大な量の武器供与を行っている。

ルーズベルトは、裏で連合国を無制限に援助していましたが、イギリスが負けてしまう前に公に参戦したいと考えていました。しかしアメリカ国内での反戦ムードは強く、選挙公約を無視することはできません。

そこで、敵対している枢軸国側から宣戦布告させることで、世論を参戦ムードに変えようと考えます。まず最初ドイツからアメリカに対し戦争を仕掛けるように挑発や工作をしましたが、乗ってきませんでした。ヒトラーはアメリカと戦争したくなかったので、ルーズベルトの挑発には乗るな!と海軍に言明していました。

そこでルーズベルトは作戦を変えます。日独伊の三国同盟を結んでいる日本を追いつめて宣戦布告させる方が簡単そうです。なんとか日本に一発目を撃たせることで、戦争に参戦しようと考えました。

フーバー前大統領の本には、1941年8月、英米が大西洋憲章を発表する為の会談の際には、すでに日本との戦争は決定していたと記されています。ルーズベルトがチャーチルに「それは、おれに任せろ」「三ヶ月は日本をあやしているから」と話した記録があるというのです(※2)
(※2)この会話は、1942年出版の「How War Came」出典であると示されている。

さらに、もっと前(第二次世界大戦がはじまってすぐ)からルーズベルトが日本と戦争をしたがっていたという証拠も見つかっています。それは、日本との戦争を想定した「オレンジプラン」の存在です。いろいろな国との戦争を想定したプラン(レッドやパープル等)がありましたが、特にルーズベルトは、オレンジプランを重視していました。単なる敵視ではなく、黄色人種への差別意識から日本人を蔑み疎んでいました。日本とは戦争すべきではないという海軍大将を降格させたり、1939年頃からスミソニアン研究所に「日本人全員を、温和な南太平洋の原住民と強制的に交配させて、やる気がない、無害な民族に作り替える」という研究を命じている程です。そして、1939年の改定版オレンジプラン(公文書)には、「アメリカは白色人種の利益を代表して、英仏欄と連合し、黄色人種の日本と戦う」と明記されています。

追い込まれた日本

このような経緯で、日本は「アメリカが参戦する為の駒」としてターゲットにされてしまったわけですが、どのようにして追い込まれていったのでしょうか?

それは、非常に厳しい経済制裁によってでした。日本はこの制裁が発動される前から、すでに日米通商条約を破棄されていました。その上に、A アメリカ一国ではなく、B イギリス、C 中国(中華民国)、D オランダ、といった国が協力して厳しい経済制裁を加えました。これが、ABCD包囲網といわれるもので、日本の逃げ道がないよう完全包囲のもと経済封鎖が行われました。日本は資産を凍結され、貿易を停止され、命綱である石油すら輸入できないという状況を作られてしまいました。

日本は、餓死するか、奴隷になるか、戦うか、という3択しかない状態に追い込まれました。そして、たとえ死ぬとしても「戦う」を選んだわけです。

フーバー前大統領は、この制裁についてこのように書いています。
「1941年7月の日本に対する経済制裁は、挑発的であったばかりでなく、その制裁が解除されなければ、自殺行為になるとわかっていても日本が戦争をせざるを得ない状況に追い込んだのだ。制裁は殺戮(さつりく)と破壊以外のすべての戦争行為を実現するものであり、いかなる国といえども、品格を重んじる国であれば、我慢できることではなかった」

「そして、この経済制裁は、弾こそ撃っていなかったが本質的には宣戦布告であった。ルーズベルトは腹心の部下からも再三にわたって、そんな挑発をすれば、遅かれ早かれ日本が報復のための戦争を引き起こすことになる、と警告を受けていた」
この時点で、部下からも戦争になるからやめろと批判が出ていたことがわかります。

また、マッカーサー元帥も、1951年5月アメリカ上院の会議で日本の戦争は自衛戦争であったことを証言しています。
「日本人は、工場を建設し、多くの優秀な労働力を抱えていましたが、原料を産出することができません。日本には、蚕を除いては、国産の資源はほとんど何もありません。彼らには、綿が無く、羊毛が無く、石油の産出が無く、スズが無く、ゴムが無く、その他にも多くの資源が欠乏しています。それらすべてのものは、アジア地域に存在していたのです。これらの供給が断たれた場合には、日本では、1000万から1200万人の失業者が生まれるであろうという恐怖感がありました。したがって、彼らが戦争を始めた目的は、主として安全保障上必要に迫られてのことだったのです。」

日本の侵略行為は制裁に値するか?

さて、日本が追い込まれたことははっきりしていますが、ここで疑問が湧きませんか?

私たちは、教科書で日本が日米通商条約を破棄されたのは、日本が中国を侵略したこと[1]への制裁だと習いました。また、ABCD包囲網という厳しい制裁が発動されたのも、日本がフランス領インドシナに進駐したこと[2](南部仏印進駐)が原因だと習いました。つまり、「日本がすごく悪いことをしていた」という下地があるから、経済的に追い込まれても仕方がなかったという理屈を教えられてきました。

だから、ルーズベルトが戦争を仕掛ける為に追い込んだのではなくて、日本が他国を侵略したから追い込まれたんじゃないの?と思う人も多いと思います。なので、ここで日本の中国侵略、南部仏印進駐がどのようなものだったのか簡単に説明したいと思います。

[1]日中戦争と中国侵略

まず、中国への侵略について。日本は日清戦争、日露戦争に勝ち、満州に合法的にたくさんの権利や利権を獲得していました。そして、当時中国は無政府状態(特に誰かが治めている国ではなかった)で、内乱が頻発していたため、中国に住む日本人を守る為に関東軍を置いて治安を維持していました。中国には日本の軍以外にも、アメリカやフランス、イギリスもみんな軍隊を派遣していました。

そして日本が産業をおこし開発したこの満州だけが大きく発展しました。発展したために、中華民国や中国共産党の勢力、漢民族が満州に流れ込み、日本人の土地を接収しはじめます。そこで日本は満州事変を引き起こし、漢民族を排し、満州人を中心とした独立国(もともと清は満州族の国だった)を復活させました。日本が独立を助けたので、非常に親日的な政権でした。満州国は、白人が行っていたような植民地というようなものではありません。(教科書で習った日本の国際連盟脱退については記事下で解説:※ 補足説明1

しかし、中華民国(国民党)の蒋介石、またそれと敵対していた中国共産党やソ連は、いずれも日本が満州国を独立させたことや、満州利権によって繁栄していることに不満を募らせていました。特に中国共産党は、日本と国民党の両方から圧力をかけられて、劣勢でした。そこで、日本と国民党を争わせて、両者が消耗したところで漁父の利を得ようとあれこれ工作します。日中戦争という名前が付けられていますが、実は共産党側が引き起こした事変の連続でした。日本側から領土を拡大するために戦争を起こしたというより、日本は共産党からの度重なる挑発や事変(盧溝橋事件や北支事変)に対し自衛の為に戦っていたと言えます。日本は戦いたくなかったので和平協定を何度も持ちかけますが、その度に、さらにひどい挑発(通州事件等)を受け、反中感情は高まっていきました。実質、中華民国と日本は中国共産党(アメリカも関与)に戦わされていたと言えます。

さらに、中華民国の蒋介石や中国共産党は、アメリカで大々的に反日プロパガンダを展開します。キリスト教団体を取り込み、日本は悪い侵略者で、中国は可哀想な弱者であると騒ぎました。日本とアメリカは1930年代にはベーブ・ルースが来日したり、文化交流もさかんで、とても仲良くしていましたが、このチャイニーズの反日プロパガンダによって、どんどん日本の悪いイメージが浸透していきます(※3)

(※3) ルーズベルトの祖父は、アヘンとチャイニーズ労働者の輸入で財を成した。そのため彼は大変なチャイナびいきであり、チャイナ寄りの政策を執ったことにも関係すると言われている。

このような流れで、まず日米通商条約が破棄されます。

[2]仏印進駐と日本の植民地支配

また厳しい経済制裁のきっかけとなった南部仏印進駐ですが、フランスの許可を得てから進駐しており、戦闘があったわけでもありません。

日本は資源確保の必要があり、アメリカにもこの南部仏印進駐は平和的なものであると説明しましたが、すでに経済制裁発動を決めていたアメリカは武力行使だ!と非難し、交渉は決裂しました。

日本は、1885年頃フランスから「一緒にインドシナを侵略しよう」と誘われたこともありますが、「自国の利益の為に他国を侵略することは許されない」と非難して、断った史実すら残っています。信じられないかもしれませんが、日本が他国を植民地化するために侵略したことは一度もないのです。逆に、日本は1945年フランス植民地政府を武力によって解体し、ベトナム帝国を独立させています。(これに絡み、韓国併合は植民地支配だったのか?について記事下で解説:※ 補足説明2

戦後、日本はアジアでの侵略、植民地支配を行ったと言われてきましたが、よく調べると、日本はアジアの諸国で同じことを繰り返しています。それは白人支配から解放し、ダムを作り、灌漑事業をやり、産業を興し、教育を与え、独立させているのです。これは侵略でしょうか?残虐な植民地支配と言えるでしょうか?

白人に葬られた大東亜会議

太平洋戦争は、日本では「大東亜戦争」(※4)という名前だったことはご存知かと思います。当時アジアで、白人支配を受けていない独立国は日本とタイだけでした。日本は、エネルギー資源の安定確保という目的以上に、アジアを白人支配から解放することを目的に戦ったのは間違いないと思います。その証拠に、戦後、日本はアジアの国々から「独立させてくれてありがとう」と感謝されています。台湾、タイ、マレーシア、インドネシア、インド、スリランカ、ミャンマー、シンガポール、これらの国が今でも親日である理由、そして戦時中の日本をどのように評価しているか知るべきです(※5)

(※4) アジア諸国を白人の侵略と搾取から解放することを目指し連携することを宣言した大東亜会議は、戦後なかったことにされました。白人にとって余程都合が悪かったのでしょう。「大東亜戦争」という言葉もGHQの検閲の対象になり「太平洋戦争」という名称に変更されました。

(※5) タイのククリット・プラモード元首相の発言:日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、一体だれのおかげであるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。(略)

それに比べて、本物の侵略やひどい植民地支配を行ったのは、白人の国々です。
当のアメリカも、ハワイをひどいやり口で侵略し、独立を訴えるフィリピン人を20万人も殺してフィリピンを占領しています。西欧諸国は、アジアの国々を文字通り侵略し、掠奪と搾取により国民を奴隷化し、貧困に追い込んだ上、弾圧と虐殺により何百万〜何千万人の命を奪いました。そんなアメリカや西欧諸国が、合法的に権益を手に入れ、その土地を繁栄させていた日本を非難する権利はあるでしょうか?

補足説明

(※ 補足説明1)日本の国際連盟脱退について:日本が満州国(満州族)を独立させると、中華民国(漢民族)は国際連盟に提訴した。そこで、国際連盟からリットン調査団が派遣される。リットン調査団は、日本の権益を認め、満州事変も一方的侵略とは言えないと報告している。しかし、満州には漢民族が多いという理由で「中華民国に主権がある」と報告した。満州に漢民族が多かったのは、日本の投資により満州が非常に発展したことで、大量の漢民族が入植した為である。その土地の主権が、多数民族を送り出した国にあるのであれば、ハワイの多数住民は日本人であったので、ハワイの主権は日本にあることになる。日本は、この「中華民国に主権がある」という調査結果を受け入れることができなかった為、国際連盟を脱退した。

» 参考:日本の貢献と脱退まで | Wikipedia

(※ 補足説明2)韓国併合は植民地支配だったのか?:日本は韓国を1910〜1945年まで併合した。併合前、韓国は世界でも最貧国と言える国だった。アジアでも植民地を増やしていたイギリスやフランスですら手を付けなかった。しかし朝鮮半島は、常にロシアや中国の侵略や脅威にさらされており、イギリスは、アジアの安定の為に韓国が独立国家になることを望んでいた。そこで駐韓公使を覇権して韓国支援を行う。だが数年後、駐韓公使は「韓国には統治能力がなく、独立国として維持する力もない」と見解を示す。そのため、西欧諸国のとしても「日本が保護国になるのが安定に繋がる」という認識が定着し、併合への地盤ができていく。韓国国内でも日本併合に賛成する意見が多かったが、一方ロシアと繋がり日本併合に反対する勢力もあった。また、日本国内にも韓国併合には反対の立場を主張する政治家がいた。伊藤博文も反対派の一人だったが、彼が韓国人テロリストに殺害されたことで、併合は決定的となる。日本は、韓国にダム、道路、鉄道といったあらゆるインフラを整備し、大学まで作って教育を与えた。(識字率は6%から90%に上昇)当時、韓国側から併合を求める文書には、このように記されている。
「日本は日清戦争で莫大な費用と多数の人命を費やし韓国を独立させてくれた。また、日露戦争では日本の損害は甲午の二十倍を出しながらも、韓国がロシアの口に飲み込まれる肉になるのを助け、東洋全体の平和を維持した。(略)」日本は韓国を植民地化したと言われているが、日本が韓国に対して行ったのは、植民地支配ではなく、日本人と全く同等の待遇だった。

» 参考:韓国併合について | Wikipedia

※ 詳細はウィキペディア等を読んでご判断ください。

Vol.2へ続く→

太平洋戦争の嘘と真実 Vol.2 —共産主義者の工作だったハル・ノートとJB-355計画

2 COMMENTS

一本指

ついにキターー!!
自分は恥ずかしいのですが、やんちゃばっかしてて、小中ってあんま学校行ってなかったので、学校でどのように教えてるのか、歴史の全体の流れを知りません。
でも大人になり本で少し勉強しました。
フィリピンだったと思うのですが「白人にエンピツを作らされたが、日本人はエンピツの作り方を教えてくれた」
とテレビで昔見たことあります。
日本は植民地というか独立させるように尽力していたと認識しています。

明日続き読ませてもらいます!
いつもためになる記事を分かりやすくまとめてくれて、ありがとうございます!

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寺島てら

>一本指さん
いつもご覧いただいてありがとうございます。
一本指さんからは、ハル・ノートを中心にリクエストいただいていましたが、太平洋戦争全体について書いたので、ちょっとご希望の内容にはならなかったかな…と思います。ご容赦くださいね。

一本指さんは、小中で歴史の授業を受けておられないということですが、その方がいいですよー。習ったことが全部間違いで、もう一回勉強しなおすのは時間の無駄ですからね。
逆に私は日本人がそんなにアジアの国々の独立に尽力していることを知らなくて、学校の授業で「日本は悪いことした」という考えが定着してしまってたので、調べれば調べるほど驚きの連続です。今は失われてしまった日本人の価値観を取り戻したいです。

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