太平洋戦争の嘘と真実 Vol.2 —共産主義者の工作だったハル・ノートとJB-355計画

ヤルタ会談

アメリカの宣戦布告「ハルノート」

前回の記事で、日本は合法的な権益による土地の開拓、また進駐を行っており、制裁を加えた国々の方がひどい侵略や支配を行っていたことはご理解いただけたと思います。

さて、日米開戦の経緯に話をもどしましょう。日本はABCD包囲網によって非常に厳しい経済制裁を受けることになりました。しかし、日本はすぐに戦争だ!と開戦を決意したわけではありません。外交努力でこの事態を乗切ろうと、譲歩に譲歩を重ねて和平交渉を続けました。戦争にならないように、また経済封鎖を解いてもらう為、最後はもうベタ折れの状態でした。

日本の天皇陛下も、もちろん戦争を回避したいと願っていました。天皇の提案は、3ヶ月の冷却期間をおくことでした。戦争回避の為に、少しの期間、情勢を見ようと言ったのです。これが実現していれば次の3ヶ月で情勢が変わり、戦争にはならななかったと言われています。しかし、ルーズベルトは一刻も早く日本に開戦を決意させるため、この延長案を受け入れませんでした。

1941年8月、近衛首相は険悪状態にあった日米関係を改善するための最後の手段としてルーズベルト大統領に首脳会談を申し入れます。しかし、ルーズベルトは、会談すら受け入れませんでした。前回説明したように、日本と戦争することは彼の中で決定事項でしたので、もう何をしても無駄だったと言えます。

そしてアメリカは、1941年11月、8ヶ月に及ぶ和平交渉の内容をすべて反故(ほご)にして一方的な無理難題を突きつけてきます。それが、コーデル・ハル国務長官から手渡されたという書類「ハル・ノート」とよばれる最後通牒です。

その中で、もっとも重要な要求は3つ。

  1. 日本の支那(中国)及び仏印からの全面撤兵
  2. 中国で、蒋介石政権以外のいかなる政府も認めないこと(日本が支援していた汪兆銘政権の否認)
  3. 日独伊三国軍事同盟の実質廃棄

中国から軍を引き揚げるということは、当時300万人もいた日本人を見殺しにすることになります。そして、ただでさえABCD包囲網によって厳しい状況である中で、日独伊の三国同盟を放棄するというのは受け入れられない条件でした。これは明らかにアメリカからの宣戦布告でした。その証拠に、ルーズベルトはハル・ノートを突きつけた翌日に、戦争準備をするように軍に指令を出しています。

フーバー前大統領はこの時の状況をこのように書いています。
「この和平の提案が受け入れられることを、日本に駐在するアメリカの大使もイギリスの大使も積極的に働きかけたし、また祈るような気持ちで見守っていた。近衛が提案した条件は、満州の返還を除く全てのアメリカの目的を達成するものであった。しかも、満州の返還ですら、議論する余地を残していた。皮肉に考える人は、ルーズベルトはこの重要ではない問題をきっかけにして自分の側でもっと大きな戦争を引き起こしたいと思い、しかも満州を共産ロシアに与えようとしたのではないか、と考えることになるだろう。」

フーバーはルーズベルトが日本の全面的な譲歩を受け入れず、戦争を起こして「満州をソ連に与えようとしている」とまで言っています。実際そうなったわけですが、この発言は、ルーズベルトが容共主義者(※1)であり、親ソ連だったという事実から来ています。フーバーはそれを見抜いていました。

(※1) 容共主義者:共産主義に理解を示し、協力的な態度をとる人間。

1933年にルーズベルトは、今まで4人の大統領が決して認めなかった「ソ連」という共産主義国を嬉々として承認しています。そしてスターリンのことを愛称で呼ぶほど友好的でした。アメリカがソ連を承認した日から共産主義者がどんどん入り込み、1933年には1万人程度だった共産党員が1938年には8万人にまで増加しています。共産主義者は政府の中枢にまで入り込み、このハル・ノートの草案をまとめたハリー・デクスター・ホワイトも、第二次世界大戦後にソ連のスパイであることが判明し、1948年に自殺しています。

日本ではこの最後通牒を受取り、とても落胆しました。この後、さらに平和的外交の努力を尽くしましたが、もはや話し合いで解決できないことは明白でした。そして、やむなく日米開戦の決断に至ります。

奇襲にならなかった真珠湾攻撃

日米開戦は日本からの真珠湾攻撃で始まりますが、事実上通告なしの、だまし討ちであったとして今も非難されています。しかし、真珠湾までは何日もかかりますので、通告が遅れたとはいえ、米軍がそれを察知していなかったわけではなく、暗号を解読して攻撃を待ち受けていました(※2)。ですから、日本が真珠湾で撃破したのは老朽化した船ばかりだったというのが実状です。

(※2) スティネット著「Day of Deceit」(2001)にて証拠書類が掲示されている。

フーバーは、宣戦布告したのはアメリカ側だったとはっきりと記載しています。日本は戦争をせざるを得ない状況に追い込まれてしまったのだ、と。そして、フーバーはルーズベルトのことを「戦争がしたい狂人だった」と表現しています。

しかし当のルーズベルトは、「日本は和平交渉のさなかにアメリカを奇襲してきた!」と明らかにウソの演説して、アメリカ国民を「日本は卑怯な敵だ!」と思わせることに大成功しました。

そしてイギリスのチャーチルは、一切日本を非難することなく、やっとアメリカが参戦してくれる!という喜びを胸に、その日の夜は「今までになくぐっすり眠れた」と回顧録に書いています。

フーバーとマッカーサーの共通認識

さて、非常に日本の肩を持ってくれているように見えるフーバーですが、大変な日本びいきだったのでしょうか?

実は、全くちがいます。彼は黒人同様、アジア人も差別していました。そして終戦まで日本に来たことはなく、日本についていろいろ間違った認識も持っていました。

フーバーは、鉱山技師だった時に、朝鮮や中国に滞在しています。
朝鮮については詳しく、このように記しています。
「朝鮮では盗賊や山賊がはびこっていた。日本の三十年間の支配下で韓国人の生活は革命的な変化を遂げた。この最も見込みのない人的資源からスタートして、日本は秩序を確立し、港湾、鉄道、道路、通信施設、公共建物、大きく改善された住宅を建設した。彼らは衛生を確立、進んだ農業方法を教えた。・・・教育制度を確立。くすんで汚れた衣服は清潔で輝く色の衣服に変わった。」

中国にも長く滞在し、このように記しています。
「無能、不正直で、全員が詐欺師だ」「役人は全員が腐敗しきっている」

彼は朝鮮と中国に滞在した経験から、アジア人全体に対して良いイメージを持っていませんでした。日本人が好きだから日本を擁護していたわけではありません。感情論ではなく、実際中央に近い立場で観察し、公文書や資料を分析した結果、アメリカがあのような形で日本を戦争に巻き込んだのは間違っていたという歴史認識を持っていただけなのです。

また、このような考えを持っているのはフーバー前大統領だけではありません。
上記でも引用したダグラス・マッカーサー元帥(彼も全く日本びいきではありません)。政治家のハミルトン・フィッシュ。軍人のウェデマイヤー大将、後の大統領ブッシュ・ジュニアなど少数派ではありますがアメリカ共和党のコアな保守層に共通する認識なのです。

終戦後すぐに来日したフーバーがマッカーサーと対談した時、マッカーサーは、フーバーの「ルーズベルトは戦争がしたい狂人だった」という意見にすんなり同意しました。

マッカーサーは、「ルーズベルトは1941年の9月に近衛と和平を達成できたはずだ。そうすれば太平洋と中国の自由、そしておそらく満州の自由を確保するというアメリカの目標をすべて獲得できたに違いない」と言っています。アメリカの言い分はすべて通ったのに、日本を戦争に追い込んだのはおかしいと発言しているのです。

日本が戦争を回避できなかった証拠

ここまで説明しても「いや、悪いのは日本だ!ルーズベルトは日本を挑発したかもしれないが、攻撃したのは日本じゃないか!日本が攻撃しなければ戦争は起きなかった!」と言う人がいるかもしれません。

日本から開戦させることに成功したルーズベルトですが、日本がどうしても開戦をしぶった場合、どうしたでしょうか?その場合、日米戦争は回避できたのでしょうか?

実はその時は、別の方法で絶対に戦争を開始させる計画を立てていました。それは、アメリカが中国(中華民国)を利用して日本を先制爆撃するという「JB-355計画」というものです。

アメリカの爆撃機を支那大陸から飛ばして、日本を空から攻撃するという計画で、アメリカの公的資料として残っています。彼は、日本にハル・ノート(最後通牒)を出すずっと前(1940年の12月)に、この計画にゴーサインを出しているのです。

これは、真珠湾50周年の時に、アメリカ国内のABC放送で放映されています。ロークリン・カーリー(※3)という大統領補佐官・中国担当がこの計画を進めていました。B-17爆撃機150機で、中国のどの基地から日本のどの都市を攻撃するか詳細な計画が作られていました。中国(中華民国)に宣戦布告させて戦争に持ち込む予定でした。

(※3) この大統領補佐官カーリーは、後に共産党コミンテルンのスパイと判明し、逃亡している。

しかしドイツの猛攻により、イギリスでB-17が必要になり、そちらに先に供給したことで作戦が遅れ、日本からの真珠湾攻撃が先になりました。

これは、ルーズベルトこそが日本との戦争を仕掛けた張本人である明らかな証拠です。これまで説明してきたようにルーズベルトは何が何でも参戦するんだという固い意志を持っていました。フーバーの「戦争がしたい狂人だった」という言葉は、決して過剰な表現ではないことが分かると思います。

Vol.3へ続く→

太平洋戦争の嘘と真実 Vol.3 —第二次世界大戦は共産主義者との戦いだった

2 COMMENTS

一本指

いつも深夜に夜勤の待機中に読ませて頂いてます。

ホワイトのスパイは本当だったのですね。
自分の後輩で近代史を先行していて、今大学院にいる人間がいるのですが、ソイツもホワイトの名すら知らなかったんですよね。

天皇の立ち位置がイマイチ分からないんですよね。
開戦等の政治的決定権は天皇が握っていたのでしょうか?
よく東條英機は天皇を利用して戦争をしたと聞きますが、どういった意味なのでしょうか?
また百田尚樹の「永遠の0」で真珠湾の猫だましは、開戦の宣言をする人間が前日パーティーで遅くまで飲んでて、寝坊して開戦の宣言が遅れて、開戦前の攻撃になり、山本五十六も驚いてたようですが、そんな事がほんとにあったのでしょうか?

そもそも何故こんなにも歴史の教科書が間違った教えになっているのでしょうか?
外交的な贖罪意識からなのでしょうか?
都市伝説レベルと捉えてますが、教科書作ってるかしてる、日教そ?←うろ覚えですが、日本教育ナンチャラ…
が在日朝鮮人の組織かなんかで、韓国の工作で今の教科書が出来てるって聞きました。※うろ覚えすぎてすいません。

長文失礼しました!
また続き読ませてもらいます!!

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寺島てら

>一本指さん
貴重なお時間に読んでいただいてありがとうございます。
たしかに、かなり重要な史実なのに、ソ連共産党のスパイの話とか学校では教えないんですよね。

天皇の立場ってむずかしいですね。私の意見ですが、天皇は、あくまで日本の象徴であって、形而上的(形ではなく理念的な)存在なので、権力者とか政治的な指導者ではないと思います。日本が追い込まれた時でも、どのような政治的判断をするかというのは、その専門的な立場にある政治家とか軍部とかが考え決定します。

国民と同じで、国民が選出した政治家や、国を守る専門組織にまかせている状態です。天皇って、地位は高いのですが、立場は国民と同じです。これは、戦争前からずっと同じです。

天皇は、政府が決定したことを、国民のかわりに承認します。政治家が承認も得ずに勝手に行動した場合や、まったく国益に反することについては非難したり、拒否したりする場合もあります。でも、積極的に「こうしよう!」と提案したり、考えて指示を出したりすることはないです。

開戦時も、かなり日本は追い込まれてたので、それに対して政府が決定したことを「理解」し、「承認」したことは事実ですが、天皇が決定権を握っていたというのは、ちょっと違うかなと思います。

「東条英機が天皇を利用した」というのは、戦後、天皇を守るためのレトリック(言い回し)だったかもしれません。マッカーサーが天皇を存続させた方が良い(利用価値がある)と判断して、天皇は騙されて戦争を承認してしまったというストーリーにした可能性はありますね。どちらにしても、天皇は開戦を承認する以外の道はなかったと思います。

永遠の0に出てくるワシントン大使館の人が飲んだくれた話は、私には真偽がわからないです。

でも、14本目の電報の英訳が遅れたことは、たいして問題じゃないと思います。なぜなら13本目までの電報は前の日までに届いていますし、それを読んだルーズベルトが「これは戦争だな」と発言したことも分かっているからです。さらに電報関係なく、ルーズベルトはもっと前に(2週間前)に、日本から攻撃があることを知っていました。

あと、日本の教育についてですが、戦後、共産主義者が入り込んでいたGHQによってやられてしまいましたね。彼らは国家や家族を、個人という単位に分断する教育方針を作りました。また日本を弱体化させるため、日本が悪いという贖罪意識を植え付けました。効果は絶大です。

なぜ共産主義者ってこんな悪魔みたいなことをするのか?と思いますよね。(上層部のたくらみは別として)こういう共産主義に賛同する人というのは、人間の嫉妬心、弱者意識、怨恨、復讐など負の感情を抱えている場合が多いようです。だから、こういう負のコンプレックスを抱えている人(国の人)が破壊的な活動に加担する傾向は強いと思います。

いろいろ質問していただき、私も調べたり勉強になります。
私もいろんな疑問で頭いっぱいですが、なかなか勉強しても、新しい疑問が出てきて追いつきませんよね。笑
逆に何かご存知のことあったら教えてください〜!

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